AB級パワー・アンプのエミッタ抵抗値の選び方
図1は,OPアンプとパワー・トランジスタ(バイポーラ・トランジスタ)を組み合わせたAB級パワー・アンプです.電源電圧は±14Vで,4Ωの負荷抵抗が接続されています.使用しているパワー・トランジスタ(Q1,Q2)のパッケージの熱抵抗は12.5℃/Wです.そして,無信号時のQ1,Q2の電流(アイドリング電流)は,R1の値で調整します.このようなAB級パワー・アンプで,Q1,Q2のエミッタに挿入されている抵抗(RE1,RE2)の,抵抗値の設定に関する説明として,最も適切なのは(a)~(d)のどれでしょうか.
RE1,RE2の値の設定に関する説明として最も適切なのは?
(b) 出力信号のひずみを改善するため,負荷抵抗と同じ値にする
(c) トランジスタの破壊を防止するため,負荷抵抗よりも大きな値とする
(d) トランジスタの熱暴走を防ぐことができる範囲で,できるだけ小さな値とする
RE1とRE2には負荷抵抗に流れる電流と同じ大きさの電流が流れます.また,トランジスタのベース・エミッタ間電圧は温度が上昇すると,小さくなります.これらの点を考え合わせると,最も適切な説明がどれかが分かります.
パワー・トランジスタ(バイポーラ・トランジスタ)のベース・エミッタ間電圧は,温度が高くなると小さくなります.図1のようなAB級パワー・アンプでは,Q1,Q2の温度が上昇するとアイドリング電流が増加します.そして,電流が増加するとトランジスタの温度が上昇し,さらに電流が増加する,熱暴走と呼ばれる現象が発生します.これを防ぐため,RE1,RE2を適切な値の抵抗値に設定します.そのため.(a)は間違いで,(d)が正解ということになります.なお,RE1,RE2には負荷抵抗と同じ電流がが流れるため,負荷抵抗の値以上の抵抗値に設定した場合は,最大出力電圧が半分以下になってしまいます.そのため.(b)と(c)も適切な説明ではありません.
●AB級パワー・アンプのアイドリング電流の設定
図2(a)はB級パワー・アンプの出力段,図2(b)がAB級パワー・アンプの出力段です.
AB級パワー・アンプは,無信号時にもQ1,Q2に電流が流れる
図2(a)のB級パワー・アンプは,無信号時にはパワー・トランジスタのQ1,Q2には電流が流れていません.そして,正の信号を出力するときは,Q1が負荷に電流を供給します.また,負の信号を出力するときはQ2が負荷に電流を供給します.
B級パワー・アンプは,Q1とQ2の動作が切り替わるときに,OPアンプの出力が,Q1,Q2のベース・エミッタ間電圧の和の1.4V程度,急速に変動する必要があります.そのため,波形のゼロ・クロス・ポイントでひずみが発生してしまうという問題があります.
その問題を解決するために,無信号時にもQ1,Q2に電流が流れるようなバイアス回路を追加した,図2(b)のAB級パワー・アンプが考案されています.無信号時にもQ1,Q2に電流が流れるようにするバイアス回路には,いろいろな形式がありますが,図2(b)の回路は,トランジスタを1個だけ使用した,VBEマルチ・プライヤを使用しています.
VBEマルチ・プライヤは,抵抗比を変えることで,ベース・エミッタ間電圧に比例した任意の電圧を発生させることができる回路です.図2(b)のR2の両端電圧はQ3のベース・エミッタ間電圧と同じになります.ここで,Q3のベース・エミッタ間電圧をVBEQ3とすると,R2に流れる電流(IR2)は式1で表されます.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1)
Q3のベース電流を無視すると,R1に流れる電流はR2に流れる電流と同じです.そのため,A,B間の電圧(VAB)は式2で表されます.
・・・・・・・・・・・・(2)
式2から分かるように,R1とR2の比を変えることで,AB間の電圧をVBEQ3に比例した任意の電圧に設定することができます.この電圧が,Q1とQ2のベースに印加されるため,R1とR2の比を調整することで,無信号時のQ1とQ2の電流を設定することができます.
AB間の電圧はトランジスタQ3のベース・エミッタ間電圧に比例するため,負の温度係数となり,温度が上昇すると小さくなります.そのため,トランジスタ(Q1,Q2)のベース・エミッタ間電圧の負の温度係数を補償して,アイドリング電流の温度変動を抑えることができます.
●AB級パワー・アンプのアイドリング電流の温度特性を確認する
図3は,AB級パワー・アンプのアイドリング電流の温度特性をシミュレーションするための回路です.図1の電流源(I1,I2)はトランジスタによるカレント・ミラー回路に置き換えています.
そして「.DCコマンド」を使用して,回路全体の温度を0℃から75℃まで変化させます.
「.DCコマンド」を使用して,回路全体の温度を0℃から75℃まで変化させる.
図4は,回路全体の温度を変えたときのアイドリング電流(Q1のコレクタ電流)のシミュレーション結果です.上段にAB間の電圧をプロットしていますが,温度に比例して小さくなっていることが分かります.アイドリング電流は高温で増加していますが,極端な増加はありません.
上段がAB間の電圧で,下段がアイドリング電流(Q1のコレクタ電流).
図3では回路全体の温度を変化させましたが,実際にパワー・アンプを組み立てた場合,トランジスタQ3とQ1,Q2の温度が異なってしまう場合があります.そこで,Q3とQ1,Q2に温度差が発生した場合に,アイドリング電流がどのように変化するかをシミュレーションしてみます.
図5がQ1,Q2の温度だけを変化させるための回路図です.Q1,Q2のモデル名の後ろに,temp={Td+27} と追記しています.このように記述することで,素子ごとに温度を設定することができます.Q3には追記していないため,デフォルトの27℃で解析されます.
Q1とQ2,Q3の温度差をTdという変数で表し「.stepコマンド」で0度から75度まで変化させてシミュレーションを行います.
Q1とQ2,Q3の温度差をTdという変数で表し,.step コマンドで0度から75度まで変化させる.
図6がQ1,Q2の温度だけを変化させたときのシミュレーション結果です.上段がAB間の電圧ですが,温度によって変化していません.下段のアイドリング電流は温度差が大きくなると急激に大きくなっていることが分かります.
このように,Q1とQ2,Q3の温度差があると,アイドリング電流が大きくなってしまうため,パワー・アンプを設計するときは,Q1とQ2,Q3の温度差ができるだけ小さくなるよう,密着させて実装するような工夫が必要になります.
アイドリング電流は温度差が大きくなると急激に大きくなっている.
●AB級パワー・アンプの熱暴走
前項で,Q1とQ2,Q3の温度差を小さくするため,密着させて実装すると書きましたが,それだけでは十分ではありません.パワー・トランジスタが電力を消費して発熱する場合,パッケージの熱抵抗があるため,半導体チップの温度とパッケージ表面の温度は同じにはなりません.そのため,Q1とQ2,Q3のパッケージの表面を密着させても,それぞれの半導体チップの温度が異なる状態が発生します.
このとき,なんらかの原因で半導体チップの温度が少し上昇したとき,温度上昇により,アイドリング電流が増加し,その電流増加によって半導体チップの温度が上昇してさらにアイドリング電流が増加という,正帰還ループが構成されてしまうことがあります.これを熱暴走と呼んでいます.パワー・トランジスタのエミッタに適切な値の抵抗を挿入することで,熱暴走を防ぐことができます.
図7は,図1のAB級パワー・アンプのNPNトランジスタ側だけを取り出した,熱暴走を解析するための等価回路です.
図1のAB級パワー・アンプの,NPNトランジスタ側だけを取り出した回路.
トランジスタの温度が上昇すると,ベース・エミッタ間電圧(VBE)は小さくなります.ここで,温度がΔTj1だけ上昇したときの電圧の減少量をΔVBEとします.これは,ベースにΔVBEの信号が入力されたのと等価です.そのため,図7ではトランジスタのベースに信号源としてこれを追加しています.
ΔVBEの信号が入力されると,トランジスタのコレクタ電流はΔIcだけ増加します.すると,トランジスタの消費電力はΔPだけ増加し,トランジスタの温度はΔTj2だけ上昇します.もし,この温度上昇量ΔTj2が最初に仮定した温度上昇量ΔTj1よりも大きい場合,正帰還となり熱暴走してしまうことになります.
そこで,トランジスタのパッケージの熱抵抗(RTH)を12.5℃/Wとし,トランジスタの温度係数を-2mV/℃としたとき,熱暴走しないためのREの値を求めてみます.Q1の相互コンダクタンスをgmとすると,ΔIcは式3で表されます.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(3)
トランジスタで発生する電力の増加量ΔPは式4で計算できます.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(4)
Q1のパッケージは理想放熱器に取り付けられているものとすると,半導体チップの温度上昇量ΔTjは式5で計算することができます.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(5)
また,トランジスタのベース・エミッタ電圧は温度が1度高くなると約2mV小さくなります.そのため,ΔVBEとΔTjの関係は式6で表されます.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(6)
式3~式6をまとめ,ループゲイン(G)を求めると式7が得られます.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(7)
式7からGが1以下となるREを求めると,式8になります.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(8)
Q1のgmはコレクタ電流(IC)によって変化しますが,発熱でアイドリング電流が0.6Aに増加したと仮定してREを計算してみます.式8に値を代入すると,式9のように,REは0.3Ω以上とすればよいことになります.
・・・・・(9)
●AB級パワー・アンプの熱暴走をシミュレーションで確認する
図8は,AB級パワー・アンプの熱暴走をシミュレーションするための回路です.
温度を電圧に,消費電力を電流に置き換えて,温度上昇をシミュレーションする.
パワー・トランジスタの発熱をシミュレーションするため,温度を電圧に,消費電力を電流に置き換えます.そして,Q1,Q2の熱抵抗をRthN,RthPとして,それぞれのトランジスタの消費電力に比例した電流をRthN,RthPに流します.すると,RthN,RthPに発生した電圧(TjN,TjP)が,トランジスタの温度を表すことになります.なお,C1,C3は温度上昇の時定数を表現するためのものです.
Q1,Q2のベースには,Q1,Q2の温度変化によるVBE変化量を,電圧源として挿入しています.パワー・アンプの入力端子には,パワー・トランジスタの消費電力が最大となる,0.7VPPの矩形波を入力しています.そして「.step コマンド」で,RE1,RE2の値を1uΩ,50mΩ,0.1Ω,0.2Ωの4通りに変化させてトランジェント解析を行います.
図9が,図8の熱暴走のシミュレーション結果です.上端がTjN端子の電圧で半導体チップの温度を表しています.パワー・トランジスタのエミッタ抵抗の値(RE)が1μΩと50mΩのときは熱暴走を起こして,半導体チップの温度は700℃以上になっています.
下段がQ1のコレクタ電流ですが,こちらもREが1μΩと50mΩのとき,8A以上の電流が流れていることが分かります.REの値が0.1Ωと0.2Ωの場合,半導体チップとトランジスタの電流に異常はありません.
REが1μΩと50mΩのときは熱暴走を起こして,半導体チップの温度は700℃以上になっている.
以上,パワー・アンプの熱暴走と,エミッタ抵抗の値の設定の仕方について解説しました.式8のエミッタ抵抗値(RE)は,バイアス用トランジスタとパワー・トランジスタのパッケージは理想的に結合されて,温度差が無いという条件で求めたものです.バイアス用トランジスタとパワー・トランジスタの結合状況は,実装によって変わるため,エミッタ抵抗値が適切かどうかは,実際に動作させて確認する必要があります.
解説に使用しました,LTspiceの回路をダウンロードできます.
LTspice9_037.zip
●データ・ファイル内容
ClassABamp_IDL_temp.asc:図3の回路
ClassABamp_IDL_temp.plt:図4のグラフを描画するためのPlot settinngsファイル
ClassABamp_IDL_temp_Td.asc:図3の回路
ClassABamp_IDL_temp_Td.plt:図4のグラフを描画するためのPlot settinngsファイル
ClassABamp_IDL_TFB.asc:図3の回路
ClassABamp_IDL_TFB.plt:図4のグラフを描画するためのPlot settinngsファイル
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