オーディオ用アンプの全高調波ひずみ率とは




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■問題
【 ひずみ 】

小川 敦 Atsushi Ogawa

 図1のように,アンプの入力に,ピーク電圧1Vで1kHzの正弦波を加えたところ,アンプの出力は振幅±1Vで,デューティ比50%の完全な矩形波になりました.このとき,アンプ出力の全高調波ひずみ率(Total Harmonic Distortion:THD)は,(a)~(d)の何%になるでしょうか.


図1 アンプの入力に正弦波を加えたところ,出力が完全な矩形波になった
出力波形のTHDは何%?

(a) 24% (b) 48% (c) 72% (d) 100%

■ヒント

 全高調波ひずみ率(THD)は,出力波形に含まれる,高調波成分と基本波成分の比を,%表示したものです.矩形波をフーリエ変換することで,基本波と高調波の振幅が分かります.式1が振幅±1の矩形波のフーリエ級数展開の一般式です.この式から,THDを求める方法を考えてみてください.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1)

■解答


(b) 48%

 全高調波ひずみ率(THD)は,高調波の実効値を基本波の実効値で割ったものです.矩形波に含まれる基本波の実効値は式1でn=1とし,正弦波の実効値がピーク値の1/√2であることを考慮すると,4/(√2 *π)となることが分かります.
 基本波と高調波の,2乗和の平方根が,矩形波の実効値であることを利用すると,高調波の実効値を求めることができます.求めた基本波と高調波の実効値から,THDを計算すると,√(π2/8-1)=0.483となり,約48%になります.

■解説

●全高調波ひずみ率とは
 全高調波ひずみ率(THD)は,オーディオ機器のスペックの中でも特に重要視されるスペックです.理想的なオーディオ用パワーアンプに求められるのは,入力された信号と全く同じ波形で,振幅だけを大きくした信号を出力することです.
 ところが,実際のアンプでは,入力波形と出力波形が微妙に異なってしまうことがあります.この波形のゆがみの量を数値化するためのスペックが,THDです.正弦波信号に含まれる周波数成分は,1つだけですが,波形がゆがむと,高調波と呼ばれる元の信号周波数の,整数倍の周波数の成分が発生します.
 THDは,波形のゆがみによって発生した高調波成分と,元の信号周波数の基本波成分の比です.基本波の実効値をV1,高調波の周波数ごとの実効値をそれぞれV2,V3,V4....とすると,THDは,式2で表されます.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2)

●矩形波の全高調波ひずみ率を計算する
 周期信号をフーリエ級数展開すると,基本波と高調波の和として計算することができます.矩形波のフーリエ級数展開の一般式の式1を利用すると,振幅±1Vで角周波数ωの矩形波は,式3のように表すことができます.

・・・・・・(3)

 矩形波に含まれる高調波成分は,基本波の奇数倍のもので,n次高調波は振幅が1/nとなり,無限に続くことになります.高調波の次数を限定すれば,式3の各高調波電圧を式2に代入することで,全高調波ひずみ率(THD)を計算することができますが,ここでは別の求め方をしてみます.矩形波の実効値をVSQとし,その矩形波の,基本波の実効値をV1,全ての高調波の合計の実効値をVhとすると,式4が成立します.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(4)

 式4を変形して,Vh2を求めると,式5になります.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(5)

 また,式2は式6のように表すことができます.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(6)

 そして,式6に式5を代入すると,THDは,式7のように求められます.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(7)

 振幅±1Vの矩形波の実効値は,1Vです.また,矩形波に含まれる基本波のピーク値は,式3から,4/πになることが分かります.正弦波の実効値は,ピーク値の1/√2なので,矩形波に含まれる基本波の実効値は,4/(√2*π)になります.この値を式7に代入すると,THDは式8のように約48.3%と計算できます.

・・・・・・・・・・(8)

●矩形波の全高調波ひずみ率を求める
 図2は,LTspiceのシミュレーションにより,矩形波の全高調波ひずみ率(THD)を求めるための回路です.使用しているアンプの内部回路は,電圧制御電圧源のtable関数を使用したものになっており,ゲイン100dBで出力電圧が制限されるようになっています.LTspiceでTHDを求めるときには「.four」コマンドを次のように使用します.

.four <周波数> [解析次数] [解析周期] <解析データ

 「周波数」と「解析データ」は,必須項目で,解析する信号の周波数とTHDを求めたい出力電圧を指定します.「解析次数」と「解析周期」は必要に応じて記入します.「解析次数」を指定しない場合は9次の高調波まで計算しますが,図2では99次の高調波まで求めるように指定しています.


図2 LTspiceで矩形波のTHDを求めるための回路
99次の高調波まで求めるように指定している.

 解析終了後,「Ctrl+L」キーを押してエラー・ログを表示すると,THDを確認することができます.エラー・ログには,図3のように,基本波と99次までの高調波の振幅とTHDが表示されます.THDは47.7%となっていることが分かります.解析する次数を99次までとしていることもあり,式7の計算結果よりもわずかに小さくなっています.


図3 「.four」の解析結果
THDは,約48%となっていることが分かる.

 出力波形に含まれる高調波は,LTspiceの波形ビューアに含まれるFFT機能を使用して確認することもできます.波形ビューアで出力波形を表示した後,[View][FFT]とすると,図4のようなFFT解析結果が表示されます.1kHzの基本波成分が最も大きく,3kHz,5kHz,7kHzといった奇数次の高調波がずっと続いていることが分かります.


図4 出力波形(矩形波)をFFT解析した結果
奇数次の高調波がずっと続いている.

●全高調波ひずみ率の解析精度を上げる方法
 全高調波ひずみ率(THD)の大きな回路を解析する場合は,あまり問題になりませんが,非常にTHDの小さなアンプ等を解析する場合,LTspiceの解析精度が問題になります.
 図5は,LTspiceのTHD解析の精度を確認するための回路です.電圧源で発生させた正弦波のTHDを測定しているので,理想的には「THD=0%」となります.しかし,解析精度の問題があるため,0%にはなりません.


図5 LTspiceのTHD解析の精度を確認するための回路
正弦波のTHDを測定しているため,理想的には「THD=0%」となるはず.

 図6は,図5の回路のTHD解析の結果です.


図6 図5の回路のTHD解析の結果
THDは,0.11%となっており,解析精度に問題がある.

 LTspiceのTHD解析の精度を上げるためには,「出力データ圧縮を制限する」,「トランジェント解析の最大刻み幅を小さくする」という方法があります.「出力データ圧縮を制限する」ためには,「.options plotwinsize =0」というオプション指定を行います.「トランジェント解析の最大時間刻み幅を小さくする」ためには,「Maximum Timestep」を指定します.図7は,両方の対策を行った回路です.


図7 LTspiceのTHD解析の精度を上げるための対策を実施した回路
最大時間刻み幅を0.1usとし,出力データ圧縮をしないようにしている.

 図8図7の解析結果です.「THD=0.000000%」となっており,十分な精度となっていることが分かります.


図8 THD解析の精度を上げた場合の解析結果
「THD=0.000000%」と十分な精度が得られている.

 以上,オーディオ用アンプの全高調波ひずみ率(THD)について解説しました.LTspiceの解析の精度をさらに上げるための設定として,「.options numdgt=7」というオプション指定もあります.このオプション指定を行うと,LTspiceの内部演算を倍精度で解析します.もし,解析精度に問題が発生した場合に指定してみてください.


■データ・ファイル

解説に使用しました,LTspiceの回路をダウンロードできます.
LTspice9_003.zip

●データ・ファイル内容
THD_SQ.asc:図3の回路
LimitAmp.asy:図3で使用しているアンプのシンボル
LimitAMP.asc::図3で使用しているアンプの内部回路
THD_sin.asc:図5の回路
THD_Pws0_Mts0.1u.asc:図7の回路

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