AB級プッシュプル回路のアイドリング電流
図1は,Q1,Q2,R1,R2で構成されるバイアス回路で,Q3とQ4のベースに電圧を加えている,AB級プッシュプル回路です.ここで,Q1とQ2また,Q3とQ4は,2N2222(NPN)と2N2907(PNP)の特性が同じで,極性が違う組み合わせのコンプリメンタリ・トランジスタとなっています.なので,INの電圧が0Vのとき,OUTの電圧は0Vになります.また,このとき,Q3とQ4はOFFせずに,コレクタ電流が流れ,これをアイドリング電流と呼びます.図1において,アイドリング電流とR1,R2の電流の関係として正しいのは(a)~(d)のどれでしょうか.ただし,トランジスタの電流増幅率は高く,ベース電流は無視します.
バイアス回路にダイオード接続したトランジスタを用いている.
(a)アイドリング電流はR1の電流とほぼ等しい
(b)アイドリング電流はR2の電流とほぼ等しい
(c)アイドリング電流はR1の電流より小さい
(d)アイドリング電流はR1の電流より大きい
AB級プッシュプル回路は,負荷(RL)へ大きな電流を流すときに使います.図1は,Q1,Q2,R1,R2がバイアス回路で,Q3,Q4がプッシュプル回路となります.R3とR4はプッシュプル回路の電流を制限する抵抗です.デバイスはQ1=Q3,Q2=Q4,R1=R2,R3=R4の関係があります.正の電源(V+)と負の電源(V-)は,電圧の絶対値が同じで符号が違います.これをヒントにQ3からQ4へ流れるアイドリング電流とR1とR2の電流の関係はどうなるかを検討すると分かります.
図1の定性的な回路の動きを検討して正解を探していきます.最初に(a)と(b)の正誤について調べます.この2つは,Q3からQ4へ流れるアイドリング電流とR1とR2の電流が等しいかどうかの検討になります.まず,R1とR2の電流の関係から調べます.図1において,正の電源(V+)と負の電源(V-)は電圧の絶対値が同じなので,INの電圧が0Vのときは,R1とQ1にかかる電圧とR2とQ2にかかる電圧の絶対値は同じになります.Q1とQ2は同じ特性のコンプリメンタリ・トランジスタをダイオード接続したものです.これより,Q1とQ2のベース・エミッタ間電圧は同じとみなせるので,R1とR2にかかる電圧は同じになります.抵抗にかかる電圧と抵抗値が同じなのでR1とR2の電流は同じになります.
R1とR2の電流は同じですから,(a)の結果は,(b)にも適用できます.R1の電流はQ1の電流なので,INとOUTの電圧が0Vのときに(a)が成り立つには,Q1とQ3のベース・エミッタ電圧が等しくなる条件になります.しかし,Q3のエミッタ側にはR3の電圧降下が加わるので式1になり,ベース・エミッタ電圧は等しくなりません.この検討より,Q3のアイドリング電流とR1とR2の電流は同じにならないことが分かり(a)と(b)は誤りになります.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1)
次に,(c)と(d)の正誤について調べます.先程の式1の関係より,Q1とQ3のベース・エミッタ電圧の大小関係は「VBE1>VBE3」となります.ベース・エミッタ電圧が低い方がコレクタ電流は小さくなります.なので,Q3のコレクタ電流は,Q1のコレクタ電流より小さくなります.Q3のコレクタ電流がアイドリング電流,Q1のコレクタ電流がR1の電流ですので,正しいのは(c)の「アイドリング電流はR1の電流より小さい」になります.
●AB級プッシュプル回路はバイアス回路の設計が重要
AB級プッシュプル回路は,入力電圧が0Vのとき,出力電圧も0Vになります.そのとき,Q3とQ4は同時にONしてアイドリング電流が流れます.この動作により,出力の電圧信号が0Vを交差するとき,Q3とQ4がOFFになることがないので,線形性が良い応答になります.このようにAB級プッシュプル回路は,Q3とQ4を同時にONさせるバイアス回路の設計が重要になります.そして,アイドリング電流は,消費電流の変化を抑えることやデバイスの発熱による熱暴走を防ぐために,温度が変化しても一定であることが求められます.
ここまでは,AB級プッシュプル回路の定性的な回路の動きを検討しました.以降では,アイドリング電流が安定しない設計例を紹介し,その対策として図1になることを解説します.
●アイドリング電流が不安定な回路
図2は,アイドリング電流が不安定になるバイアス回路を使ったAB級プッシュプル回路です.AB級プッシュプル回路は,入力電圧が0VのときにQ3とQ4の両方を同時にONさせます.そのため,Q3のベース・エミッタに約+0.7V,Q4のベース・エミッタに約-0.7Vの電圧を加えます.図2では,この電圧を正負の電源間にあるR1とR3,R2とR4の抵抗分圧を使ったバイアス回路で作り,Q3とQ4のベースへ電圧を加えています.
熱暴走の防止から,この回路は使われない.
●熱暴走する回路
図2の欠点は,温度が変化するとアイドリング電流も変化することです.具体的には,抵抗分圧のバイアス回路は,同じ温度係数の抵抗を使うと,温度が上がってもQ3のベース・エミッタ電圧を約+0.7V,Q4のベース・エミッタ電圧を約+0.7Vに保ちますが,トランジスタはベース・エミッタ電圧が一定で温度が上がると,コレクタ電流が大きくなります.このためコレクタ電流が大きくなるとトランジスタが発熱して温度が上がり,更にコレクタ電流が増える正帰還になります.この熱による正帰還で電流が増えて高温になり,トランジスタが破壊することがあります.これを熱暴走と呼びます.
●温度によるアイドリング電流の変化
図3は,図2の入力電圧に対するQ3とQ4の電流と25℃,75℃,125℃の3点の温度を調べました.使用したドット・コマンドは「.DC」と「.STEP」です.
温度が上がるとアイドリング電流が大きくなる.
「.dc V1 -2 2 1m」は,V1の電圧を-2Vから+2V間を1mVステップで変化させたDC解析を実行するという意味になります.
「.step temp 25 125 50」は,回路の周囲温度を25℃から125℃間を50℃ステップで変化させるという意味になります.
図3の入力電圧が0Vのとき,Q3とQ4のプロットが交差するところがアイドリング電流です.そして回路の温度が上がるとアイドリング電流は大きくなることが分かります.このシミュレーションは,回路の周囲温度を変えていますが,Q3とQ4の発熱でトランジスタの温度が上がり電流が大きくなる熱暴走でも同じことが起こります.図2は,このような温度依存があるので,抵抗分圧を使ったバイアス回路は使われません.
●ダイオード接続を使ったAB級プッシュプル回路
次に,図1のAB級プッシュプル回路について解説します.INとOUTの電圧が0VということはGNDということになります.なので,図1の正の電源(V+)とGND間にある「Q1,Q3,R1,R3の回路」また,負の電源(V-)とGND間にある「Q2,Q4,R2,R4の回路」は,同じ回路で電流の向きが違います.ここでは,図1から抜き出した図4の「Q1,Q3,R1,R3の回路」を用いてアイドリング電流を検討します.
ワイドラー・カレント・ミラーとなる.
図4のQ1とQ3は,ベースが共通ですので,Q3のエミッタ側にR3がついたカレント・ミラー回路となります.この回路はワイドラー・カレント・ミラーと呼ばれています.図4のQ1とQ3は同じトランジスタなので,ベース・エミッタ電圧の温度変化は約-2mV/℃となり,温度が高温になるとQ3のベース・エミッタ電圧は低くなるので,IIdleの変化は抑えられます.更に,IIdleが大きくなるとR3の電圧降下が高くなり,その結果Q3のベース・エミッタ電圧が低くなってIIdleの電流が小さくなる負帰還回路の働きも加わります.この動作によりIIdleは安定になり,高温になってもIIdleの変化は抑えられる回路になります.負の電源(V-)とGND間にある「Q2,Q4,R2,R4の回路」も同様の動作となるので,図1は温度が上がってもアイドリング電流の変化は小さくなります.
●アイドリング電流の机上計算
前述のとおり,R3はアイドリング電流の変化を抑える負帰還の効果がありますが,その他にアイドリング電流を決めるときにも使います.ここでは図4を用いて,設定したいIBIASのバイアス電流とIIdleのアイドリング電流からR3を求めます.
図4のIBIASはR1の電流になります.R1にかかる電圧は正の電源電圧からQ1のベース・エミッタ電圧を減じた電圧ですので,オームの法則より式2となります.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2)
R3の電圧降下は抵抗値にアイドリング電流を乗じた電圧です.これを式1へ入れると式3になります.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(3)
トランジスタのベース・エミッタ電圧は,熱電圧をVT,コレクタ電流をIC,エミッタの逆方向飽和電流をISとすると式4になります.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(4)
式3のベース・エミッタ電圧を式4で表すと式5になります.Q1とQ3は同じトランジスタなのでISは同じになります.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(5)
式5をR3で解くと式6になり,設定したいIBIASの電流とIIdleの電流からR3が決まります.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(6)
図1の具体的な抵抗値を求めます.図1と図2のシミュレーション結果を比較したいので,25℃のアイドリング電流は,図3のシミュレーション結果より「IIdle=2mA」を目標にします.次に,冒頭で検討した「アイドリング電流はR1の電流より小さい」の関係があるので,「IBIAS =4mA」としました.式2を使いR1を求めると,「V+=10V」,「VBE1=0.7V」よりE24系列の抵抗として「R1=2.2kΩ」となります.次に式6を使いR3を求めると,「VT=26mV」,「IBIAS=4mA」,「IIdle=2mA」よりE24系列の抵抗として「R3=10Ω」となります.
●対策した回路のシミュレーション
図5は,図1の温度が25℃,75℃,125℃のときの入力電圧に対するQ3とQ4の電流をプロットしました.使用したドット・コマンドは図2の「.DC」「.STEP」と同じです.図3と比べると25℃,75℃,125℃の温度でアイドリング電流の温度変化は小さく,約2.1mAで安定するのが確認できます.
図3と比べると,アイドリング電流の温度変化は小さい.
図6は,図1のV1に振幅が5V,周波数が1kHzの正弦波を加えたときのシミュレーション結果です.使用したドット・コマンドは「.tran 2m」で,時間0msから2ms間のトランジェント解析を実行するという意味になります.「.step」で変化させる温度は25℃,75℃,125℃となります.
出力電圧が0Vになるときの不感帯は小さい.
図6より,0Vを交差するところはクロスオーバーひずみが小さくなります.R3とR4を入れる欠点として,OUTの正の出力電圧はR3とRLの抵抗分圧,負の出力電圧はR4とRLの抵抗分圧で制限を受けます.このため,図6のOUTの電圧はV1の正弦波振幅より低い振幅になります.
以上,解説したように,AB級プッシュプル回路はバイアス回路の設計が重要です.実機での注意点として,熱暴走を最大限に抑えるためには,図1のデバイスを同じヒートシンクに接続して同じ温度にします.
解説に使用しました,LTspiceの回路をダウンロードできます.
LTspice7_018.zip
●データ・ファイル内容
Class AB Ampilifer with Emitter degeneration.asc:図1の回路
Class AB Ampilifer with voltage divider bias.asc:図2の回路
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